足利義助(1541~1592年)

 足利義冬の次男。室町幕府14代将軍・足利義栄の弟。母は大内義興の娘。1534年、阿波守護・細川持隆が義冬を阿波に迎えて平島荘に住まわせたことから平島公方と呼ばれるようになった。
 1568年に義栄が亡くなった後、将軍になる資格はあったが後ろ盾だった三好家が力を失っており上洛は叶わなかった。
 1577年、長宗我部元親が阿波に侵攻してくると馬と和紙を送られ所領三千貫も安堵されている。1582年、元親は中富川の戦い後に阿波支配の邪魔になりそうな領主を次々と誘殺しているが、義助には再び所領を安堵している。畿内に進出した際の利用価値を考えてのことだろう。
 1585年の四国攻め後に蜂須賀家政が阿波を支配すると父からの所領を取り上げられ僅か100石だけを与えられた。1592年7月2日死亡。孫の義次の代には足利を名乗ることすら許されず平島に改姓させられている。

徳島県阿南市那賀川町赤池185の西光寺に建つ義助の墓(中央)
足利義助の墓
UPDATE 2015年3月28日
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