細川真之(?~1582年)

官位・通称:掃部頭・六郎
 阿波守護・持隆の子。母は小少将。三好長治・十河存保の異父兄。1553年(1552年とも)、持隆が三好之虎(義賢・実休)によって殺されると細川家を継ぐが、実権は之虎が握っていた。長じても無位無官で実権も与えられず、冷遇された真之は憤り三好氏への仇討ちを誓ったという。
 義賢の跡を継いだ長治の失政・失策で人心が離れると、1576年に勝瑞城を出て飯谷の福良連経(真之の叔母の夫)を頼る。真之は連経によって仁宇谷の茨ヶ岡城に匿った。1577年、長治が兵を率いて攻め込んで来たが、一宮成祐らが真之に味方したため撤退させ自害に追い込んでいる。
 阿波に侵攻していた長宗我部元親に通じ、細川家再興の機会を窺っていたが、中富川の戦い後の1582年10月8日、謎の一団に仁宇谷を奇襲され自害させられる。襲わせたのは存保と元親両方の説があるが、はっきりしない。

徳島県徳島市丈六町丈領32の丈六寺に建つ真之の墓
真之の墓
UPDATE 2012年7月8日
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